カトラリーにかける思い

世界中の一流ホテルやレストランから支持されている、私たちがつくるカトラリー。
信頼される製品をお届けできるようになるまでには、多くの試練がありました。
ここでは私たちの企業文化が、どのように育まれたのかをご紹介いたします。

はじまり−誕生の地は、オンリーワンの技術を持つ燕市−

はじまりは1918年。私たちは、オンリーワンの技術が世界的に高く評価されている金属洋食器の生産地、新潟県・燕市で誕生しました。
創業者の山崎文言は古くから盛んだった鎚起銅器の技術を習得した後、独立してスプーン工房を開きます。
当時は真鍮・銅・洋白を素材に使用し、手づくりの品々を外国人の多い横浜・神戸に出荷していました。
その後少しずつ機械化を進め、金属洋食器のルーツともいわれるヨーロッパへ輸出するまでに企業は成長。
ステンレス素材での金属洋食器づくりが主流となる1926年には、
日本で初めてスウェーデンからステンレスを輸入するなど、ヨーロッパとの関係を徐々に深めていきました。

夢の分岐点−試練が導いた、意志あるモノづくりスタイル−

アメリカの大手洋食器メーカーからの委託生産が盛んになった1950年代前半。
世界の巨大マーケットから大きなチャンスがもたらされたと喜ぶ中、質の良い製品が日本からアメリカへ大量に輸出されたことで貿易摩擦が起き、
輸出制限を余儀なくされてしまいます。 また1985年のプラザ合意によって急速に円高が進行したことで、輸出産業全体が打撃を受けるなど大きな試練が続きました。
「付加価値のあるモノづくりができなければこの先に道はない。他社が追いつけないくらい品質が良いものをつくろう」。そのとき出した答えが「徹底的な品質向上」。
そこでモノづくり先進国のドイツやフランスなどを視察し、金型技術・デザイン・教育体制など多くのことを学んで、日本に持ち帰りました。

もう一つの答え−可能性を大きく広げた、世界への販路開拓−

1967年。私たちが次に着手したのが、自ら世界への販路を開拓することでした。今まで商社を通して輸出していた製品を、直接取引へと移行していったのです。
ここからは、自ら直接取引できる先を探さなくてはいけません。
世界を相手にする途方もない挑戦でしたが、ただ前だけを見つめ、世界約65カ国をめぐりました。
飛び込みで関係団体への訪問や高級百貨店への市場調査を重ねるなどして、少しずつ取り扱い先を増やしていった私たち。
こうして地道な努力を続けるうちに世界各地に根強いネットワークを構築することができ、ついには140年の歴史があるドイツの銀器メーカーをはじめ、
デンマークやフランスなどの世界的一流ブランドに認められ、共同で製品開発するまでにいたりました。

アメリカ進出−デザイン&マーケティングで、ブランドを確立−

次なるステ一ジへ大きな一歩を踏み出したのが1980年。
ニューヨークのマディソンアベニューにアメリカ現地法人を設立したのです。
ここで学んだのが「デザイン&マ一ケティング」の重要性。例えば食事を楽しむセレブリティたちへのプロモーションとして、
フロリダ・ボストン・シアトルのフィッシュレストラン3軒で私たちの製品を使ってもらいました。
中でも”GONE FISHIN’(ゴーンフィッシン)”シリーズのカトラリーは、魚をモチーフにするという独創的なデザインが話題となり、20年以上続くベストセラーに。
また地域で異なる嗜好やサイズ、トレンドなどを取り入れた商品提案が支持を集め、アメリカで確固たるブランドを確立しました。

ノーベル賞晩餐会−世界に認められた、私たちのカトラリー−

ノーベル賞晩餐会

1991年12月。ノーベル賞創設90周年を迎えたこの年、晩餐会のテ一ブルには私たちのカトラリーが並んでいました。
欧米での企業活動と真摯なモノづくりが世界に認められた瞬間です。
きっかけはスウェーデンの著名なメーカーとデザイナーによる、テーブルウェア共同開発プロジェクトの発足でした。
デザイナーに起用されたゴナ・セリン氏とは30年来さまざまな仕事で関わり、
彼の高いデザイン要求を形にしてきた実績を認められて私たちが候補に選ばれたのです。
最終的にはデザイン&マーケティングの考え方やテーブル全体のコーディネート力など、総合的な評価を受け採用されました。
開発には約4年の歳月を費やし、こだわりぬいた逸品に仕上げています。

次なる冒険へ−モノと人をつなぐ、新たなアプローチを探して−

ノーベル賞晩餐会のカトラリー開発の後も、国内外のさまざまな企業・団体との取り組みを進めてきた私たち。
最近でも、2013年の伊勢神宮式年遷宮を記念した食器セットや、
日本初のクルーズトレイン「ななつ星in 九州」、JR東日本 トランスイート四季島 で使用されているカトラリーなど、多くの実績を積み重ねてきました。困難に直面しても歩みを止めず、挑戦を繰り返しながら行動していくことで、これからも自らの領域をより大きく広げていきたいと考えています。そしてライフスタイルが変わりゆく中、モノと人をつなぐ新たなアプローチを模索していくことも私たちの使命です。
これまでの経験を宝として未来のあるべき姿を思い描き、それを実現していきたいと考えています。

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